霧島についてのご紹介 霧島温泉 優湯庵【公式HP】

サイトマップ
霧島温泉 優湯庵 お問い合わせTEL 0995-42-0550
    お電話での受付時間 AM8:00〜PM11:30
優湯庵のインターネット宿泊予約
◆◆お得な会員登録はこちらから
霧島神宮

 

霧島の歴史に残る偉人

 

全国でも有名な小松 帯刀

  1835年喜入(現鹿児島市)領主の肝付兼善の三男として生まれた。吉利(現日置市)領主であった
  小松家の養子となり、小松帯刀清兼と改名

  
1861年の藩政改革に際し、島津久光を助け、大久保利通ら下級武士を登用。岩倉具視らと倒幕を画策し、
  大久保、西郷らと討幕派公卿・諸藩の間を周旋翻弄
  明治新政府に重用されたが、間もなく病死


坂本 龍馬

  土佐藩郷士出身。武市半平太率いる土佐勤王党に入る。のち脱藩し、勝海舟に航海術を学ぶ!
  勝が幕府から謹慎を命じられた為、1864年長崎に亀山社中(のちの海援隊)を結社、海運に従事しつつ
  薩摩・長州間を仲介し、1866年薩長連合を実現
  公議政体論を唱え、大政奉還を実現したが、、その後間もなく京都で、中岡慎太郎とともに暗殺された


鹿児島の偉大なる人物 西郷隆盛

  通称吉之助、号は南州。薩摩藩出身。尊王攘夷運動・討幕運動を指導し、薩長連合・王政復古の実現に努力。
  戊辰戦争に参謀して参加、江戸城無血開城に尽力!
  明治維新新政府の参与・参議となり、廃藩置県を遂行したが、1873年征韓論を唱え、敗れて下野。
  帰郷して鹿児島に私学校開設したが士族に擁立され、1877年西南戦争をおこし、敗れ城山で自刀

篤姫(天璋院)

  1835年今和泉島津家に生まれ、1853年島津家当主・斉彬の養女から江戸幕府第13代将軍・徳川家定の正室になる。
  嫁いでから約1年半で家定は亡くなり、篤姫はわずか23歳で落飾して「天璋院」と号した。
  明治維新の動乱の中、新しい日本の幕開けと徳川家存続の為に尽力する。
  1868年薩摩藩を中心とした新政府軍に働きかけ、江戸城無血開城の実現にも大きな役割を果たした




坂元龍馬とお龍の湯治碑    坂本龍馬とお龍が新婚旅行で訪れた
         温泉などの観光地を巡ってみませんか?


1866年(慶応2年)3月、寺田屋事件で九死に一生を得た坂本龍馬は、西郷隆盛らのすすめで、妻お龍とともに、塩浸温泉で傷を癒しながら、二人で遊び、生涯最も楽しい生活を送りました。
これが日本の新婚旅行の始まりと言われています。幕末の志士坂本龍馬が、恋女房のお龍を伴い、この地に遊んだのは有名な話。絹ごしのようなさわやかな空気、清らかなせせらぎ、美しい自然、そして心温まる人の情、それら全てが龍馬の心をとらえたのでしょう。姉(坂本乙女)にあてた手紙の一節に「げに、この世の外かと思われるほどのめずらしきところなり。ここに十日ばかりも止まり、あそび、谷川の流れにてうお(魚)をつり、ピストルをもちて鳥をうつなど、実におもしろかり・・・(略)」とあり、龍馬夫妻は飛洙はげしい犬飼滝を訪れ、更に神話の地高千穂峰まで足を延ばして、天の逆鉾を見て、「その形たしかに天狗の面なり。二人大いに笑いたり・・・」とユーモアナ面を覗かせています。
この年、龍馬の奔走により、西郷、大久保、木戸と会い、ここに薩長同盟を成立させるという大役を果たしています。その後、薩摩藩の保護を受け、西郷隆盛とは公私共々の交際をするようになりました。

霧島連山の高千穂峰 中岳 新燃岳 獅子戸岳 韓国岳 甑岳
◇◆◇◆◇

霧島連山の魅力

◇◆◇◆◇

鹿児島・宮崎両県にまたがる「霧島」は、日本で最初に指定された国立公園です。霊峰「高千穂峰」を始め、22座の単式火山と1座の複式火山の集団からなる連山は、様々な火山地形や噴出物が見られる世界に類のない自然の「火山展覧会場」。また、日本百名山としても人気が高く1年を通して多くの登山客で賑わいます


≪韓国岳≫

えびの高原の東南にそびえる韓国岳は標高1700mであり、連山の中でも最高峰である。しかし、標高1200mのえびの高原が登山口となっており、標高差500mであり、比較的短時間(往復1時間30分)で登れる韓国岳は火口跡ゆえ中腹から木がなく頂上からの眺めは素晴らしい。晴れた日は桜島も望める
早朝から、韓国岳〜高千穂峰への徒歩も出来る
また、えびの高原周辺に3つの池をめぐる、散策コースがあり池と新緑や紅葉が素晴らしい

≪高千穂峰≫

宮崎県の境にある、韓国岳に次ぐ第二の高峰。標高1574m高千穂峰は円錐状の山頂で、火口は完全に塞がっている。噴火の歴史は742年(天平14年)以来36回を数えるが、御鉢の噴火と確認できるのは13回で、近年の記録は1913〜14年(大正2〜3年)である。このためなだらかな山麓は厚い自然林に覆われるが、およそ標高1000m以上は赤褐色の地肌がむき出しになっている。高千穂峰川原より、山頂まで徒歩約1時間30分

≪新燃岳≫
鹿児島県霧島市にある中岳の北西に位置し、連山のほぼ中央にそびえる山です。頂上にはほぼ円形の火口(直径約750m・深さ約180m)を有し、紺青のとても美しい水面は、直径約150m・深さ約30mの火口湖となります
山頂南側には、溶岩の突出があり、遠くからはラクダの背のこぶのように見えます
中岳と同じくミヤマキリシマの群落地で登山者も多い山です。北西部外壁から噴火し、現在でもわずかにガス状の噴煙が見られます


≪中岳≫

連山、中岳は高千穂峰の隣に位置し、韓国岳への徒歩コースでもあります。南東面山裾のミヤマキリシマの大群落は、連山群一の規模を誇り、5月中より6月上旬にかけ辺りは赤、ピンク、白色の花で全山が染まる。山頂に浅い火口があり、傾斜はゆるやかです
火山群の中で最も新しい火山で、登山も容易です


≪大浪池≫

標高1411mで比較的容易に登山できる山として人気があります。山頂には周囲1.9km、水深11mの火口湖を持ち、「お浪伝説」が語られる神秘的な火口湖として知られています
池は標高1239mの高地にあり、火口湖として日本一の標高を誇ります。登山道はモミ・ツガの原生林の中にあり、山頂までしっかりした歩きやすい道が整備されています。池の周囲を焼く2時間で一周できる遊歩道もあります
大浪池の植物などは、早春 マンサク、初夏 新緑やミヤマキリシマ、秋 紅葉

彩る様々な景色。来て頂ければ、歴史・自然・様々な文化に触れられるでしょう。
霧島連山
霧島上野原縄文の森
上野原縄文の森
霧島 和気神社
和気神社
霧島市嘉例川駅
嘉例川駅

数多くの文化施設があります。歴史に触れて、観て、感じて下さい。

▼上野原縄文の森

鹿児島県霧島市にある、上野原縄文の森は、県が国指定の史跡「上野原遺跡」を保存・活用し、縄文の世界とむき合い・ふれ合い・学び・親しむ場として整備した施設です。上野原遺跡は、国分南東部の上野原台地に位置し、平成9年5月、工業団地の造成工事に伴う発掘調査に”縄文のムラ”がよみがえったことで注目を集めました。同、遺跡では縄文時代(約9500年前)の竪穴住居跡を始め、調理施設と考えられる、多数の土器や石器、狩りや水くみなどに移用したと思われる道の跡が発見され、縄文時代の定住生活が南九州から広がったことが分かり、これまでの説を覆す発見となりました。
36haの広大な敷地には、展示やシアター・ジオラマなど多彩な演出で縄文の世界を再現しました。また、火おこしやアクセサリー作りなど「体験学習」も充実しており、地元からも愛されていり場所です


▼和気神社

和気清麻呂、奈良時代末期から平安時代初期にかけて国の官僚として活躍、和気清麻呂公を祀っています。769年、称徳天皇の時代、一僧侶でありながら朝廷に仕え、大きな権力を持つ道鏡という僧がいました。ある日道鏡にへつらう者が宇佐八幡のお告げであるとして「道鏡を次の天皇にすれば国が穏やかに治まる」ということを称徳天皇に申し出ました。天皇はこの神託を確認するため、和気清麻呂を宇佐八幡宮に遣わしました。道鏡は清麻呂が都を発つとき「自分のために計らえば高い官位を与える」と味方にしようとしましたが、清麻呂はあくまで忠義の心が深く、出世のために志を動かすような人ではありませんでした。宇佐から帰った清麻呂は、「わが国は始まって以来、君(一国の君主・天皇)と臣(君主に仕える人)の別が定まっている。臣をもって君とすべきでない。無道のものは早く排除すべき」と当初の神託と正反対のお告げを持ち帰りました。それを聞いて怒った道鏡により、名前を「分部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」に変えられ大隅の国に流されました。しかも、流される途中、道鏡の使者から命を狙われましたが、突然現れた白い猪の群れに助けられ、大隅の国に流れ着きました。やがて天皇没後、道鏡は失脚し清麻呂も京に戻されました。この事件を宇佐八幡宮神託事件といいます。和気神社には、このとき清麻呂公の命を救ったイノシシを崇め、狛犬ならぬ狛イノシシが鎮座し、境内では白イノシシの「あいちゃん」が飼われています

▼嘉例川駅

鹿児島県内で最も古い木造の駅舎。1903年に開業百年余の歳月を刻んできました。今は無人駅となっておりますが、木造の味わい深い駅舎は、見物に訪れる人が後を絶ちません。霧島で人気のある観光スポットとなっております。土・日曜日は嘉例川弁当の販売もされます


霧島の七不思議

霧島を中心とした地域には、様々な不思議な現象が起こると言われています。人はこれを『七不思議』と呼んでいます。観光に来られた際には
この霧島の七不思議を周ってみてはいかがですか?


亀石 風穴 御手洗川 両度川
 亀石写真 風穴写真 御手洗川写真 両度川写真

◆◇蒔かずの種◆◇
山中や竹やぶに、自然の陸稲が生えることがあるといいます。 これを蒔かずの種といっています。これは天孫降臨の時、高天原から持ってきた種子が残っていて、山の中で自然に育ったものだと言い伝えられています

◆◇文字岩◆◇
霧島神宮から西の方に2キロメートルほど離れた山の中にあります。大きさが10立方メートルぐらいの岩で、真ん中から割れて10センチメートルぐらいの隙間が出来ています。 中をのぞくと字が彫られているのが見え、人間の力では動かすことのできない大きな岩の中に、どのようにして刻まれたのか不思議です

◆◇亀石◆◇
霧島神宮の旧参道の中ほどにカメにそっくりの自然石があり、これを亀石といいます。またこの坂を亀石坂と呼んでいます

◆◇風穴◆◇
旧参道にあり、以前岩穴からいつも風が吹き出ているのが不思議がられていました。 極微弱な気流です。岩の上に石造の観音が安置されていたといわれています。現在は風は出ていませんが、山中ではこれに似た現象はあちこちに見られます


◆◇御手洗川◆◇
霧島神宮の西方250メートルほどの下の岩穴から湧き出る小川です。11月から4月頃までは、ほとんどかれていますが、5月ごろから非常な勢いで大量の水が湧き出ます。この時は魚もいっしょにわいてくるといわれます。水の質は清明で、天孫降臨の際、高天原から持ってきた真名井の水が混じっていると伝えられています

◆◇両度川◆◇
霧島神宮の西方300メートルの所にあります。両度川は、毎年6月頃から水が流れ出して8・9月頃にはかれてしまいます。この間、はじめ10日も水が流れたかと思うと全く乾いてしまうのです。そして、数日たつとまた流れ出すというのです。川は短くて小さいものですが、水は極めて清く量も多いです。また、下流は滝になって川に落ち込みます。両度川は、毎年同じ時期に決まって二度流れるというので、両度川という名がつけられたということです

◆◇夜中の神楽◆◇
神楽(かぐら)は神前で行う音楽のことです。昔、神宮が現在の地に遷宮の時、 深夜に社殿の奥で神楽が高く鳴り響いたということです。その時は神官・僧侶のほか一般の人まで神楽を聞いたということです。今でも時々深夜に、かすかに神楽のような物音がするといわれます。真偽のほどは分かりませんが、久しい間、七不思議の一つに数えられています。



◆お客様の声◆お問い合わせ◆会員登録◆プライバシーポリシーカップル 温泉 旅行

 鹿児島 温泉お料理お部屋交通案内周辺観光よくある質問You湯ブログ7つの魅力 | 霧島神宮
はじめての宿泊予約の方へお客様の声お客様の写真館露天風呂付客室高千穂牧場サイトマップ
受賞とテレビ・雑誌取材トップページ会社案内霧島霧島神話豚しゃぶ
霧島ホテル | 霧島温泉の魅力離れ宿家族湯記念日 温泉旅行優湯亭
霧島温泉 優湯庵

霧島温泉 優湯庵(旧スパホテルyou湯)
〒899-5111
鹿児島県霧島市隼人町姫城1-177

【TEL】0995-42-0550  【FAX】0995-42-2474